蕎麦を育てる蕎麦職人のそばで、蕎麦粉を作る蕎麦職人が
玄蕎麦を石臼で蕎麦粉に挽いて、その蕎麦粉を見る蕎麦職人の眼が
蕎麦を改良し、蕎麦を育てる蕎麦職人が、より旨い蕎麦を
蕎麦畑に作る。
その蕎麦のそばで蕎麦打ちが、旨い水で蕎麦を打つ。
蕎麦を湯がいて蕎麦を冷やし、蕎麦を板蕎麦にする。
その蕎麦のそばのそばで蕎麦好きが舌を鳴らして蕎麦を食べ
その蕎麦について、そばの人達と蕎麦論議。
「この蕎麦はそばらしい」
その蕎麦の話が蕎麦打ちに、蕎麦粉の職人に、そして蕎麦畑の職人に、
蕎麦の話がそばのそばに伝わって、その又そばのそばに伝わって、
その蕎麦がよりよい蕎麦にと作られて、
蕎麦好きがいる限り、その蕎麦のそばには、
蕎麦に関わる蕎麦作りの蕎麦職人が、蕎麦の話に耳を立て、
「我が蕎麦が日本一の蕎麦」と云いたがる。
蕎麦好きで、蕎麦巡りで、全国に蕎麦を食べ、蕎麦に惚れ、
蕎麦打ち趣味が蕎麦屋に、転身し、蕎麦やる本人はよいけれど
そのそばで、支える蕎麦屋のおかみ、「こんなはずでは」って
蕎麦をけなす訳にもいかず、「蕎麦大好き」って言いつつ蕎麦たべ
一人の蕎麦ファンになっちゃった。
『切っても切れるがそばならば
切っても切れぬが頑固親父といいおかみ
わたしゃあんたのそばがいい』
ワァアッハァッハァッハァァァ
なんちゃって、